かなり日にちが過ぎてしまいましたが、
2月11日に、おとあそび工房第4回公演『マルシェだなす!』(2017.11)
の振り返りの会がありました。

 

会の流れやジル・クレマンの「動いている庭」については、
主宰の沼田さんや参加されたメンバーの方々の文章に詳しく書かれています。
私もそれぞれの感じられたことを感慨深く読ませて頂いたので、
そちらを是非読んでみて下さい。
で、私は、その場で個人的に感じたこと、
伝えきれなかったことなどを、
少し書いてみようと思います。

 

記憶が曖昧で正確でなかったり、
その場の意図を読み違えての失礼があるかもしれませんが、
ご容赦下さい。

 

振り返りの会は、まず、
『マルシェだなす!』の映像全編をモニターに流し、
公演を観ていない方も参加されているので、
沼田さんから簡単な説明がありました。

 

映像では、舞台の全体を捉えることや、
その場でしか伝わらないものは感じられないものの、
出演していた私達にとっては、
客観的に(といっても主観であるが)観ることができる。
合い間合い間にインタビューでもあれば、
ドキュメンタリー映画のようになりそうな映像だった。
(資金源にならないかと下衆いことを考えてしまった)

 

全編を見終わった後、全員が、簡単な感想を1人づつ語った。
私は、表に出ている音・動き・表現方法と、
それらの元になっているエネルギーの存在が、
明暗・白黒といった対比ではなく、
力強い、あるいは繊細な表現が玉虫色のように様々な色を放ち、
底にある生命力としての漆黒が渦巻いている状態。
その二つが同時に存在している風に見えた。

 

これは、出演している個人が、各々の表現として顕れる表の社会的な顔と
各々の内にシン(芯・心・身・真・深・清)としてある、
本能的、無意識的な塊が、
一斉に噴出している(静かな場面も)姿を感じ、
どえらい舞台に出させて頂いたもんだと驚いた。

 

その中で、自分の小ささに萎縮してしまい、
感想の発表の時は、
「明暗・白黒という対比ではなく、表現と、その底にあるエネルギー」
だとしか言えず、
意味が分からないであろうまま、
解説ができなかったのが悔やまれる。
(これは、時間的な問題ではなく、自分自身の問題でそうなっただけです)
この舞台の感想は、おとあそび工房での“即興”ということと、
質が同じものだろうと、後で考えると気が付いたのでした。

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