9月19日、土曜日の
【「からだの教室 in 〇塾~野口体操をベースにしたワーク~」オンライン版】
戸惑いながら、数回オンライン版をやってみて、歯がゆさを感じつつ、少しでもと思い、〇塾の塾長、宇高さんに引っ張っていただいて開催していました。
そんな中で、大切な宝物を見つけられた瞬間に立ち会うことができました。
めちゃめちゃ嬉しいです。
私自身、間違えずに「野口体操」の考え方や方向を伝えることができているか、という不安は常にありますが、やってきて良かったと思えた瞬間でした。
自分のからだの実感として「分かった」と思えたことは、大切にしてほしいと思います。
そして、より一層、今回の「分かった」ものが変化していくのを、たのしみにしています。
以下、〇塾の塾長、宇高さんの文章です。
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「からだの教室 in 〇塾~野口体操をベースにしたワーク~」オンライン版、終了いたしました。
今日は私(宇高)、
初めて野口体操でいう
「ぶら上がり」の感覚が分かった気がします。
「分かった」というのはあくまで今のレベルでの理解ということです。
理解のレベル、深度というのは常に更新されていきます。
ある時に
「あぁ、なるほど!そういうことか!」
と腑に落ちた気がしても、
年月が経ってみると、また新たな
「あぁ、なるほど!こういうことだったのか!」
が訪れ、
前の「あぁ、なるほど!」は、決して嘘ではなかったにしても
まだ深度の浅い「あぁ、なるほど!」であったことを
思い知ることになります。
「分かる」ということは
カリスマ講師の超人気講座を60分受けた「だけ」でできる体験では「断じて」ないのです。
(↑この「だけ」は重要なポイントですので、
見落とされないようにご留意ください。)
これは身体的なワークでもそう、
算数・数学でも他の学びでもそうだと思っています。
私自身、白藤さんを通じて
「野口体操=野口三千三さんが言う意味での体操(それを私が探っていくと自ずと「宇高体操」になるもの)」
に6年近く触れてきましたが、
今回初めて、いわゆる「野口体操」で提示される代表的な動きの一つ「ぶら上がり」が分かった気がするのです。
その私の身体的実感は、
この後自分用のメモとしては言語化するつもりですが、
それをここに書くと、きっと皆さんは
「え?そんな単純なこと?」
と思われるかも知れません。
そう。「そんな単純なこと」に気付くのに6年もかかったんです。
我ながら一瞬、
「こんなことに気付かずに6年もやってたなんて、私は一体何をしていたのだ?」
と自分のことを笑ってもしまいそうになりますが、
その6年があったからこそ「そんな単純なこと」にようやく気付けるわけです。
ここは何歳の人が何を学ぶ場合であれ、
大切なことだと思うのでもう一度書きます。
端から見れば無駄な遠回りにも見えるような紆余曲折、
グネグネ、ダラダラの6年間の道のりがあってこそ気付く
「そんな単純なこと」
があり、
そういう「学びの感動」というものがあるのです。
グネグネ、ダラダラの過程で
自分の中に確実に変化・変容していくものがあり、
それがあるタイミングである気付きを惹起する…
こともあるわけです。
我ながら面倒くさい書き方です。
ここも迂闊な伝え方をするとかなり語弊のあるところですので、
だいぶ遠回りな言い方をしています。
クリアカットに語れることなんてたかが知れてるんです。
もとい。
私は〇塾の塾生さんにも、第二の仕事場での生徒さんにも、
「『基本』というのは決して、イコール『簡単なもの』ではありません。
『基本』とは『誰もがわかるバカみたいなこと』では断じてなく、ものごとの一番『大事』なところです。
そして、場合によっては『基本』こそが一番難しかったりします。」
ということをよく言います。
白藤さんとよく、
この「からだの教室~野口体操をベースにしたワーク~」を
どうやって皆さんに知ってもらおうか、
という話をするのですが、恐らく
「ダイエット効果バツグン!」とか
「これであなたもスーパースポーツ選手!」とか
「不眠にお悩みの方も今日から熟睡!」とか
「集中力マックス!一冊の本が20分で読めるように!」とか、
インスタントでインパクトのある効果効能を派手に打ち出せば打ち出すほど、
そして場合によっては高額な受講料をとればとるほど
受講生の方は集まるのでしょう。
「なら、そうすりゃいいじゃん?」
と思われます?
絶対イヤです。
だって、そんなの嘘っぱちですもん。
インチキですもん。
野口体操の効果効能なんて分からないですもの。
「え?じゃあ野口体操をやっても何の意味も無いの?」
違います。
よく言葉を見てくださいね。
「分からない」んです。
先に、
「野口体操=野口三千三さんが言う意味での体操」
と書きましたが、
野口三千三さんご本人は「野口体操」という呼称を好まなかったと聞きます。
曰く、例えば
白藤さんが白藤さんのからだと向き合う作業は自ずと「白藤体操」になるし、
私・宇高が私のからだと向き合えばそれは自ずと「宇高体操」になる。
つまり、野口三千三さんがご自身のからだと向き合ってきたプロセスの一部が、
今知られる「いわゆる『野口体操』」なわけで、
それはどこまでも野口さんオリジナルのものなわけです。
(もちろん、そこにある種の普遍性がある(と感じられる)からこそ、
今でも広めていこうという人たちがいるわけです。
私たちのように。)
もう先に
「効果効能なんて分からない」
と書いた私の意図はご理解いただけたかと思います。
野口体操、いや、その人のオリジナルの「体操」を通じて、
痩せる人もいるかも知れませんし、
スポーツの成績が伸びる人もいるかも知れませんし、
なぜかはわかりませんが谷崎潤一郎の美学に突然心酔し始める人もいるかも知れませんし、
因果関係はさらに不明ですが、別れた恋人とよりを戻す人も出てくるかも知れません。
で、もちろん、
効果効能が出ていると言われれば出ているような気もするし
出ていないと言われれば出ていないような気もするけれど、
ただ一ヶ月に一度、自分のからだと静かに向き合う時間を
淡々と積み重ねていく人も多くいることでしょう。
つまり、からだの向き合い方と同じく、
向き合うことで出てくるもの、あるいは出てこないもの、
増すもの、削ぎ落とされるものも
完全にその人「オリジナル」なわけです。
学びにおける気付きというのもまったく同じです。
ある人たちの気付きが言語化されたとき、
たとえ傍目には一言一句違わぬ同じ文章であったとしても、
その気付きはどこまでもその人たちそれぞれの身体性を伴った「オリジナル」なものなのです。
「いわゆる『野口体操』」というのは、
その人の、徹頭徹尾オリジナルな人生の中で、
その人のオリジナルな気付きに出会っていくための
「大事」な「基本」の一つなんです。
随分と話が長くなってしまいました。
私が7年前、
既に本町で「からだの教室~野口体操をベースにしたワーク~」をやっておられた白藤さんに、
〇塾でも「からだの教室」をやって欲しい旨をお願いしたのは、
私が「学び」について考えていること、感じていることのコアの部分と、
白藤さんの「からだの教室」、
あるいは「いわゆる『野口体操』」の間に
通底するものを強く感じていたからです。
今日の
「ぶら上がり」が「分かった」という感覚を通じて、
私自身の、学びに対する一番「基本」の、
そして一番「大事」なところを
再確認させてもらえた気がしますので、
思わず熱く長文を打ちこんでしまいました。
ご参加くださった皆さん、
そして白藤さん、
今回もありがとうございました!
さて、新型コロナウイルスの影響で、
長らくオンラインで続けてきました
「からだの教室 in 〇塾」ですが、
来月から対面で復活したいと思います。
なお、対面での講座を再開した後にも、
オンラインでも並行して受講いただけるようにする予定ですので、
遠方の方もぜひご参加ください。
(白藤さんにはまた無茶ぶりをお願いします…。
申し訳ございません(*^o^*))
【「からだの教室 in 〇塾~野口体操をベースにしたワーク~」オンライン版】
日時:10月17日(土) 17:00-18:30
形式:「〇塾-わじゅく-」での対面
   &「Zoom」でのオンライン
費用:1,500円
(オンラインで参加の方のお支払いについては、
後日ゆうちょ銀行への振込先をお知らせいたします)
定員:8名
ゆるやかで自由な学びの場に
皆さんもぜひお気軽にご参加ください(^-^)

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